「う……うぅん、あん……」
甘い吐息と
「う……あ、ふあ、ああああああ〜あ」
大あくびとともに、マフィは目を覚ました。
気がつけば、いつの間にか6時間が過ぎている。
新しい『船』の、新しい部屋。
枕元には新しい服が置かれている。
「うに?」
寝ぼけつつ手に取ってみる。『アイオーン』の制服に似ているが、生地とかがかなり違う。丈夫で気密性の高い服だ。
着てみると、サイズはぴったりだった。
「トパーズがみつくろってくれたのかな」
……そのトパーズはどこにいったんだろ?
まだ何もない部屋から出ると、左右に延々と廊下が続いている。
居住区の一角。トパーズの部屋は隣のはずだ。
コン コン
ノックしてみる。……が、返事はない。
「あ、反対側か」
移動して、もういちどコンコン。……やっぱり返事はない。
「どこかな……」
食堂。医務室。ブリッジ。見当もつかない。
とりあえず、左にいってみることにした。
動く歩道に乗って居住区を抜けると、そこは生活エリアとでもいうべきところだ。
食堂や医務室の他に、トレーニングルームやプール、大浴場など、何でもアリである。
「食堂だね。食堂食堂」
少しおなかも減ったし、というのが本音。
食堂、というかキッチン(レストラン並に広い)にはアンがいた。
「広いね、ここ」
「元々はレストランだったみたいですよ」
「へー、そうなんだ」
そんなことよりも……
「何作ってるの?」
「ミルクを温めてるんです」
「ミルクぅ……」
さすがにミルクはちょっと遠慮したい。
「おなかがすいたの? ならそこにオードーさんの作りおきがありますよ。レンジでチンしましょうか?」
「そのくらいは自分でやるよ。それより早くリディにミルク持っていってあげて」
アンは笑顔でうなずくと、ミルクの温度を確かめはじめた。
医務室にはリルルとレオがいた。
すやすやと寝息をたててるリルルの寝顔。
「リルル……あぶないの?」
「……うん」
レオは小さくうなずくと、弱く笑った。
「つい……彼女と娘を重ねてしまう。彼女と妻を重ねてしまう。リディやアンが同じようなことになったら……耐えられない。そう思うよ」
「……お父さんの、気持ち……」
マフィが、一番知りたかった気持ち。もう、確かめようのない気持ち。
「ゼナ君は強いな、ホント……」
レオは、また弱く笑った。
機関室にいたのは、ゼナ・エノク・ゴーヴァ。
「ん〜、予想通り」
「あ、マフィさん。もういいんですか?」
「まだねむい」
ミもフタもないマフィの返事にエノクが思わず吹き出す。
「『ウムブリエル』の方は終わったの?」
「はい。シェオールさんとゴーヴァがうまいことやってくれたから、ほとんどはめ込むだけでよかったんです」
「もうすぐ『メルカバー』に出発できますよ」
「ギ、ガ!」
そう。もうすぐ、アルバスを取り戻すための闘いがはじまる──
シェオールは、ゼナツーと何かを話し込んでいた。
さすがのマフィも、ちょっとジャマできなかった。
サリース、ブリッジで操作法の勉強中。
リューセ、自室で熟睡中。
オードーの部屋からは、いつまでも木を切り倒す音が響いていた。
「トパーズ〜、どこいったの〜」
ブツブツ言いながらトパーズの部屋に戻ってみると──着替え中の彼女と目が合った。
「トパーズ……あいかわらずだね……」
「うるさい、ほっといてーッッ!!」
リューセはまどろみの中にいた。
まどろみの中で、ぼんやりと今までのことを思い返していた。
イシュタル――
サリースやゼナ、ユンケガンバと出会ったのは12歳のときだ。
タナトスに連れられ、老夫婦に預けられた、すぐあとのことだった記憶がある。
……記憶……?
自分の記憶ほど、アテにならないものはない。12歳から前の記憶は心の奥で眠ったままだ。
アルバスとはじめて逢ったのは定食屋『弁天』だった。
そのときはすぐに別れ……魔法アカデミーの階段で突然再会した。
はじめて逢った気は……しなかった。
エスペルプレーナを奪回し、街を出た。突然の旅立ち。でもいつかは来ると思っていた日。
イシュタルは……自分の居場所ではなかった気がする。
なんとなくの望郷。なんとなくの自分探し。過去への欲求はなかった。
イルダーナ――
リルル。翼を持つ少女。
それから……サンダユウ。彼は『消えて』しまった。アルバスが……滅ぼした。
ことわざ四天王。ゼナの女装。
ジャッハの……死。リアルすぎて、逆にリアルじゃなかった、人の死。
アガートラーム――
ブラックマーケット。標語衆。ウェンディ。落盤で大勢死んだ。『クーア』の発見。
ウェンディはささやかな幸せをつかんだようだった。自分たちとはもう、関わらない方がいいのかもしれない。
パラスアテナ――
軍人たち。『鉄の棺桶』の生活。卑しい目をした男たちが、自分にせまってくる。
『アイオーン』との邂逅。脱出。そしてリルルがゼナのお父さんにさらわれた……
モト――
シモーヌ。『癒し』を願う未亡人。
片腕のカル。盲目のステラ。奴隷生活。
貴族都市。あふれる富と貧しさ。色鮮やかな煙。
ここにもまた、死があふれていた。欲望欲望欲望……
リルル奪還。ことわざ教との決着。
メフィストフェレス転換法。空白の時間。鈍く輝く十字架たち。
目を覚ますと、ゼナとリルルの元気がなかった。
『ヒーメル』のおじいさんが、亡くなったらしい。それはたぶん、ふたりだけの心の傷。