いったいどれほどの時間が過ぎたのか……
『風』の被害はいよいよ地上にまで及ぼうとしていた。『滅び』は止まらない。
見上げれば、雲がかなりのスピードで闇の中を流れていく。風が強い、雲の向こうにかすかに星が見える夜。僕の部屋に……来訪者がひとり。
クリシュナ:「風が……強くなってきましたね」
アヴァロン:「そのようですね……」
クリシュナ:「心ここにあらず、ですか……」
アヴァロン:「そうですね……」
クリシュナ:「ふふ。──誰のことを……考えているの?」
アヴァロン:「みんなのことを……そして、彼女のことを」
クリシュナ:「ソフィア……幸せな子」
……は?
アヴァロン:「……幸せ? ソフィアが? 世界を破滅に追いやろうとしている彼女が?」
抑えていた気持ちが一気にあふれてくる。止まらない。止められない。
アヴァロン:「……みんないなくなったんだ。ソフィアもサラもオラクルもゲオルギウスも。ユナだってもうすぐ死ぬ。
ダイモンの『ネフィリム』狩りでヒュプノスは追放されたし、ネメシスは幽閉された。タナトスは重傷を負ったまま行方不明だ。
『C.L.R』だって溶けてグチャグチャになった。
アステルは暗殺され、ダイモンは民衆に八つ裂きにされた。
父上も母上も姉上たちもボロボロに崩れて消えた。城のじいさんたちも灰になった。ヒイラギも壊された。
……もう誰もいない。みんないなくなる……」
クリシュナ:「………………」
アヴァロン:「──何で彼女じゃなきゃいけなかったんだ? 何で彼女があんな『力』を持ってなくちゃいけなかったんだ?」
クリシュナ:「それは…………彼女が『ソフィア』だから」
アヴァロン:「……え?」
クリシュナ:「『其は最初のものにして最後のもの 崇められ、さげすまれしもの 売春婦にして聖なるもの 妻にして処女 石女にして豊饒なるものなり』」
アヴァロン:「………………」
クリシュナ:「『全て』であるがゆえに『終焉<デッド>』を司るもの──それが『ソフィア』だから」
アヴァロン:「なぜそんなことを知っている……?」
クリシュナ:「それは…………私が『クリシュナ』だから。『無』であるがゆえに『再生<ビデオ>』を司るものだから」
アヴァロン:「『再生』の力……──クリシュナなら……みんなを救える?」
クリシュナ:「ううん、今は無理。……私の『力』はまだ覚醒していない」
アヴァロン:「じゃあオレ……このままひとりぼっちか……?」
クリシュナ:「ひとりは――イヤ?」
アヴァロン:「ひとりは……さみしいよ……」
――心が痛い
激情にかられ、彼女をベッドに押し倒す。
アヴァロン:「君は……傍にいてくれる?」
彼女はそっと僕の頬に触れ……静かに首を横に振った。
クリシュナ:「いっぱいさみしかったのね。――でも……私はあなたを癒せない。あなたのさみしさを癒せるのは……彼女だけでしょう?」
優しく微笑む彼女の瞳は、よく見るとソフィアと同じ色だった。
アヴァロン:「ぅ……あぁ……」
クリシュナの頬にポタポタと雫が落ちる。
僕は……泣いていた。
みっともないぐらい、涙はあふれつづけた。
『風』が吹いてくる方を目指し、ユナは夜の道を進んでいた。
ソフィアのもとへと向かったアヴァロンを追って。アヴァロンのゆく先へ。アヴァロンの傍へ。
南へ、南へ──
やがて姿を現す大地の果てと、蒼く広がる雲の平原と、星空を塗りつぶすように闇を連ねた『女神の塔』──
その扉を開こうとして、彼女はヒザをついた。
もう、限界が近い。
「王子……おう……じ……」
そのとき、後ろからガチャガチャと足音がした。4人……いや、5人。
姿を現したのは武装した男たちだった。血走った目と不自然な形にゆがんだ手足で、過度の『生命力付与』を受けた者であることが分かる。
アヴァロンを狙う暗殺者だ……
だが、ユナにはどうすることもできない。
男たちは乱暴に扉を開き、塔の中へ入っていく。ユナははじき飛ばされ、地面に転がった。
『女神の塔』の最上階で、うずくまるようにしてソフィアは眠っていた。
アヴァロン:「のんきに寝てんなよ……」
僕の言葉に、彼女はそっと目を開けた。
ソフィア:「アル……」
彼女から吹く『滅びの風』が、なぜか僕には心地いい。
アヴァロン:「心配して来てみれば……なんだよそりゃ」
ソフィア:「え?」
アヴァロン:「落ち込んでるだろーなーって思ってたんだ……。なのに……なんで寝てんだよ」
ソフィア:「だって、眠かったし……」
アヴァロン:「あのなァ……もっと自分の立場ってヤツを理解しろ」
口をついて出てくるのは悪態ばかりだ。
やがて僕は耐えられなくなり吹き出し……彼女もまた、笑った。
アヴァロン:「……寒くないか?」
ソフィア:「ん、寒くないよ……」
薄い青紫の瞳を見て、思う。
きっと、彼女もさみしかったんだ……僕以上に。
ソフィア:「目の下のキズ、残っちゃったんだね……」
アヴァロン:「痛みはないんだ。気にしなくていいよ」
ソフィア:「身体は平気?」
アヴァロン:「ああ、なぜかオレは大丈夫みたいだ。……だから──」
だから……
アヴァロン:「ふたりでいよう。ずっと、一緒にいよう」
ソフィア:「……うん」
彼女の瞳に大きな雫が生まれ……見開かれた。
ソフィア:「アルッ! 後ろ!」
うれしくて……反応が遅れた。背後から男たちが走り寄り──僕の身体を幾本もの刃が貫く。
ねえ、ソフィア……
ずっと一緒にいよう
ふたりで、偽りの『永遠』の扉を開こう……
コツコツと、暗がりから足音が響いてくる。
ユナは、扉の奥に目をこらした。
やがて姿を現したのは……大剣を手にしたアヴァロンだった。自分の血なのか他人の血なのか、衣服は真っ赤に染まっている。
無事だったんだ……
ユナは駆け寄ろうとして……少しよろけた。
アヴァロンは歩調をゆるめることなく近づいてくる。
そして──血で赤く染まった刃が、ユナの腹部に吸い込まれていった。
ふたりの身体が重なり合う。剣は、根元まで突き刺さっていた。
荒い、彼の呼吸と、自分の呼吸。
「おう……じ……」
かすんでいく視界。愛しい人の顔。蒼い瞳……
ユナは自らの血の海に倒れ込み……二度と目を開くことはなかった。