『ネフィリム』はゆっくりと成長する。
子供だった俺も身体だけは一人前になり、王宮騎士としてアールマティ王につかえていた。
やわらかな日が差す、気持ちのいい午後。
俺は仕事をさぼって、リンゴをかじりながら木の上で昼寝をしていた。
ここは王都と離宮の中間辺りで、すぐ近くに離宮へいくための洞窟がある。ちょっとしたダンジョンになっていて、『開かずの間』なんかもあるらしい。歌がどうとかいう話も聞いたりしたが……よくは分からない。
タナトス:「こんな天気のいい日に、仕事なんかやってらんないよなー……」
戦争もなく、平和な日々。
『ヒーメル』の『ネフィリム』に対するいやがらせなんかはあったりしたが、大きな争いはここ数十年ない。
俺は、『ネフィリム』であることを隠して生活していた。
こそこそ隠すことでもないのだが、昔はヒドイ弾圧があったりしたらしく、そうしておいた方がゴタゴタがなくて楽なのだ。
もっとも……『ネフィリム』特有の蒼い瞳は隠しようがないので、バレてる可能性も高いが。
タナトス:「ふぁ〜あ……」
あくびとのびをして、短く刈った黒髪をぽりぽりと掻く。
そろそろ戻ろうかと下をみると……そこに『お客さん』がいた。
俺がいる木の幹にもたれて、お昼寝をしているようだ。
タナトス:(気づかなかったなー……。いつの間に……?)
色素の薄い髪を長くのばした、なんだかほえっとした娘だった。風を受け、気持ち良さそうに眠っている。
タナトス:(起こすのも悪いな……。……俺も、もうちょっと寝ていくか)
俺は知らなかった。
それが、女神の幻だったことを。
俺は知らなかった。
俺が再び眠りに落ちたその頃、『ネフィリム』の村が『ヒーメル』の王族に襲われていたことを。
後になって知る。
俺を育ててくれた村長も、武器屋のおっちゃんも、酒場のお姉さんも……みんなみんな戦ったことを。
仲間のために戦い、その命を散らしていったことを。
逃げ延びられたのは、ヒュプノス・ネメシス・アルゴスのわずか3名。
たった……それだけだった。
“あの日”から──俺たちの復讐は始まったのかもしれない。
俺は王宮騎士として城に残り、『ヒーメル』の動向を探った。
ヒュプノスたち3人は『ヒーメル』と『ネフィリム』の歴史を紐解き……『ネフィリム』の創造主が『ヒーメル』であること、そして『ヒーメル』が女神オファニエルを殺害したことを知った。
『ネフィリム』にとって、母であり姉であり妹であり導き手であったオファニエル──
ヒュプノスは呪った……おろかな『ヒーメル』たちを。
ネメシスは祈った……いつかまた、『ネフィリム』たちがこの地に満ちることを。
俺は誓った……女神を復活させることを。──女神の顔も、知らぬままに。
そしてアルゴスは……
・4000年前 空中都市アールマティ 王家の離宮 ネメシスの私室
アヴァロン王子の『お使い』についてきたタナトスは、ネメシスと密会していた。
タナトス:「元気か?」
ネメシス:「ええ。とてもよくしてもらってるわ」
タナトス:「『ネフィリム』だと知らないから……だろ?」
ネメシス:「それは……そうだけど」
タナトス:「ここに来る途中、『聖柩』を見つけたんだ。あの中に眠ってるんじゃないのか、オファニエルが」
ネメシス:「そう……」
タナトス:「なんだ? 違うのか?」
ネメシス:「違わないけど……彼女たちはもうあそこにはいないの」
タナトス:「いない? それに彼女“たち”って?」
ネメシス:「アルゴスが言ってた。オファニエルは『ふたり』に分かれたんだって。もう目覚めてるって」
タナトス:「目覚めた……って……それじゃ今、どこにいるんだ?」
ネメシス:「さっき会ったでしょ?」
タナトス:「あの……クリシュナって娘か……? 彼女が……オファニエル……?」
ネメシス:「もうひとりは……ソフィア」
タナトス:「ソフィア、か……。どんな娘なんだ? どこにいるか知ってるのか?」
ネメシス:「ソフィアは……元宰相のダイモンに連れていかれたわ──養女として」
タナトス:「何だって!? ……何でもっと早く俺に教えてくれなかったんだ!?」
ネメシス:「仕方なかったのよ、最近ガードが堅くて。……あなたとの、よくない噂も耳に入ってきてるし」
タナトス:「やれやれ……。よりによってダイモンか……。変な趣味とか持ってないだろうな」
ネメシス:「やめてよォ……。──クリシュナは、私が何とか守るから……あなたは、ソフィアの『騎士』になってあげて」
タナトス:「分かった。ゲオルギウスに相談してみるよ。……ゲオルギウスといえば、ヒュプノスはどうしてるんだ? アイツ、魔法科学研究所に入り込んだんだろ?」
ネメシス:「元気にしてるみたいよ。あの顔立ちでしかもクールだから、結構もててるみたい」
タナトス:「性格は悪いけどな」
ネメシス:「ふふふ。……たまには、アルゴスにも会いにいってあげてね。隠れ家でひとりぼっちで、いろいろ研究してるみたいだから。どんなに頭がよくても……アルゴスはまだ子供なんだから」
タナトス:「ああ。……ソフィアと、アルゴスと、それから『聖柩』も一応調べておく」
ネメシス:「ええ。──気をつけてね。それから……」
タナトス:「まだ、何か?」
ネメシス:「アヴァロンのこと、よろしくね。ホントの息子じゃないけど……やっぱり何だかかわいくて」
タナトス:「そうか」
ネメシス:「あんな子、いつかほしいなって、思うの……」
アヴァロン王子……か。
・4000年前 空中都市アールマティ アールマティ城内
ゲオルギウス:「王子の『成人の儀』まであとわずか。時の流れは早いものだ」
タナトス:「全くだ。100年なんてあっと言う間に過ぎてしまう」
ゲオルギウス:「100年?」
タナトス:「あー……、例えだよ、例え。──それよりゲオルギウス、この間見つけたお墓のようなモノを覚えているか?」
ゲオルギウス:「離宮に行くときに見つけたアレか?」
タナトス:「ああ。で、あの後調べてみたんだが……『柩』はあったものの、死体や骨はなかったらしい」
ゲオルギウス:「墓じゃなかったってことか?」
タナトス:「分からん。……それから……『箱』が見つかったらしい」
ゲオルギウス:「箱?」
タナトス:「ああ、両手で持てるぐらいの、凝った装飾がしてある箱だそうだ」
ゲオルギウス:「箱は開いたのか?」
タナトス:「いや、開いてない。だからとりあえず離宮の王妃様に預けてきた」
ゲオルギウス:「なぜ? 私が調べてもよかったのに」
タナトス:「いや……彼女はそういう方面にお強いから」(……さすがにネメシスのこと、話すワケにはいかないよな……)
ゲオルギウス:「そうか……。分かった」
タナトス:「話はそれだけ……っと、大事な話を忘れるところだった。──ゲオルギウス、お前がここに来る前に宰相だった男がいただろう?」
ゲオルギウス:「ああ、元宰相のジジイか。アイツがどうかしたか?」
タナトス:「第何位だかの王位継承者を使って王位を狙ってるという噂を聞いたんだが……何か聞いてないか?」
ゲオルギウス:「いや、特には……。……それが本当なら調べてみる必要がありそうだな……」
タナトス:「ああ、気をつけろよ。命を狙われる可能性だってあるんだからな」
ゲオルギウス:「私に限って、そんなことにはならんよ」
タナトス:「相変わらずの自信家だな、お前は……」
ソフィアを何とか奪還しようといろいろ調べているうちに、俺は「ダイモンが王位を狙っている」という噂を聞いた。
ぶよぶよとした肉に包まれた、卑しいあの男のことだ。何を企んでいてもおかしくはない。
ソフィアは『成人の儀』のパーティーに出席するらしい。だから、そのとき話をつけることにした。
・アールマティ城内 『成人の儀』パーティー会場の片隅
ネメシス:「……何とか話ついたみたいね」
タナトス:「ネメシスが口添えしてくれたおかげさ。……御協力、感謝いたします」
ネメシス:「うむ、ソフィアのこと、よろしく頼んだぞよ──なんてね」
タナトス:「心得ておりまする。──ところで、『箱』のこと、何か分かったか?」
ネメシス:「全然。今、アルゴスに調べてもらってるわ」
タナトス:「一応、開いたんだろ?」
ネメシス:「ええ、何か、宝玉のようなモノを入れるようになってるみたい」
タナトス:「てことは中身はからっぽ?」
ネメシス:「うん」
タナトス:「なんだァ……」
ネメシス:「でも、箱そのものに何か『力』がある場合もあるから」
タナトス:「なるほど。それもそうか」
ネメシス:「箱といえば……知ってる?」
タナトス:「何を?」
ネメシス:「『パンドラの匣』の話」
タナトス:「あの……あらゆる災厄が入ってたって匣のことか?」
ネメシス:「そう──あらゆる罪悪と不幸が入ってる匣を、パンドラという少女が好奇心から開けてしまった。そうして世界に罪悪と不幸が広がり、あわてて匣を閉じると最後に残っていたのは『希望』だった」
タナトス:「あの『箱』が、そうだとでも?」
ネメシス:「ううん──そうだったら……イヤだなァって」
タナトス:「からっぽの『パンドラの匣』か。確かにそれじゃ、救いようがないな」
ネメシス:「『希望なきパンドラの匣』……か……」
『箱』……『希望なきパンドラの匣』……
・テーレ1136 “最後の楽園”ニャルラトホテプ 『女神の塔』最下層(最上階)
──その『箱』が今、目の前にある。
4000年前、『僕』がクリシュナから受け取り、女神の像の下に置いたから。
今でも、逆さまになった像の台座のところにはめ込まれている。
でもその前に……狂った『守護者<ガーディアン>』と化したアルゴスを何とかしなければならない。
タナトス:「アルゴス……お前が女神を守りたい気持ちは分かる」
アルゴス:「ゴアアアアアア……!!!」
タナトス:「でもここに女神はいない。……分かるだろ?」
アルゴス:「グォアアアアアア!!!」
タナトスに襲いかかるアルゴス。その動きは、水の中とは思えないほど速い。
タナトス:「聞けよアルゴス! 俺たちが戦う理由はない!」
アルゴスの一撃を剣で受け止めようとするが、パワーが違いすぎて吹き飛ばされる。
タナトス:「こんなに凶暴化しやがって……。──アルゴス!」
アルゴス:「ゴォゥアアアアアア……!!!」
タナトス:「そんな……そんな哀しそうな声で吠えるなよ……」
容赦なくタナトスに襲いかかるアルゴス。
さばききれず、タナトスは少しずつ傷を負っていく。
タナトス:「この……やろ……! アルゴス、いいかげんにしやがれ!」
アルゴスの全身の『瞳』が紅く輝きを増す。
タナトス:「お前だって……ホントは解ってるんだろ……?」
アルゴス:「グルルルルゥ……」
タナトス:「……自分はもう……ここにいるはずない、って……」
ピタリ、とアルゴスの動きが止まる。
タナトスの言葉をきっかけに、アルゴスの瞳に理性の光が戻ってくる。
タナトス:「お前は──4000年前に死んだんだ。大切な女神を守れないまま……死んだんだ」
アルゴスの『残留思念』が……水に溶けるようにして消えていく。……消えていく。
アルゴス:「グ……オ……ファ……」
タナトス:「ああ、大丈夫。女神は……蘇るさ」
女神の『心』を癒すこと。女神の『幸せ』を願うこと。
それがお前の一族の使命で……それがお前の『想い』だったから。
だからきっと……願いは叶うよ……