慶長五年(1600年)、秋。
戦場を去って行く荷駄部隊を見送りながら、桑名弥次兵衛一孝が吐き捨てた。
「わが殿は一体何を考えておるのか。これではまるで負け戦の支度をしているようなものではないか」
南宮山に陣を敷いた長宗我部盛親。
その足元を、東軍の兵士が火縄に火もともさずに隊伍を組んで歩いて行く。
「わしらを案山子か何かのように思っておるのか。見ろ、椎名」
傍らの椎名一盛を振り返る。
「わが軍は六千」
長宗我部の陪臣という身分には不釣合いな程の豪華なよろいに身を包んだ男が口を開く。
「今足下の東軍に討って出れば、二千や三千の首は取れましょう」
口調だけは丁寧だが、態度には少しも遜ったところは見えない。
「毛利が後詰に出てくれるのなら、それは可能です。しかし……」
首を廻らして山頂に目を向ける。
「毛利は家康に内通しているというのか」
「そう考えるのが妥当かと」
根拠はある。
物見の報告では、山頂の毛利の軍勢は長々と飯を食っている最中だという。
二刻(四時間)以上も状況に変化が無い。
「山を下って討ち入ったが最期、毛利軍は嬉々として我らに襲い掛かって来るでしょうな」
その危惧は桑名にもある。
「内府への手土産になるくらいなら、ここは動かない方が得策かと」
正論である。ここで動かなければ戦後、徳川家康への言い訳もきく。
「椎名、お主……」
苦笑いしながら続ける。
「……見た目だけでなく、考え方まで殿に似て来たな」
配置に戻る足を止め、幔幕の向こうから椎名が答えた。
「拙者は、影ですから」
「吉良正親さま討ち死にっ!!」
馬上の盛親の元に伝令が届く。その声を同じく馬上にあって、椎名は複雑な思いで聞いていた。
「確実に本陣に近づいて来ておるな」
吉良は椎名同様、盛親の影武者である。いずれは我が身。今も頭上を飛び交っている矢の一本が、いつ自分の体を貫くかわからない。
撤退。
これほど情けなく、骨身にしみる戦があるだろうか。
肩に食いこむ鎧がいつもより重いのは、降り出した雨のせいだけではないだろう。
「長宗我部盛親どのとお見受けする! 覚悟!!」
本物は隣の隣におるのに……。
そう思いながら突き出された槍の穂先を跳ね上げ、鎧の隙間を狙って刀を入れる。
かわいそうに、無駄死にに終わったな……。
斬られた相手が影武者ではこの男も浮かばれまい。
刀身に残った血糊を振り払いつつ、椎名は並走する主君盛親の横顔を見た。自分と同じ顔が、悔しさにゆがんでいる。
鎧の草摺が赤いのは帰り血か、それとも盛親自身の血か。
視線を前に戻し、さらに二・三人も斬っただろうか。
「ぐあっ!」
傍らに悲鳴が起こった。盛親の肩口に矢が、深々と突き刺さっている。
「殿っ!!」
桑名が慌てて馬から飛び降りる。
遅れて飛び降りようとした椎名。しかし盛親はそれを片手で制した。
「いいか一盛、土佐守は馬上にあって無事。胸を張れ。それもまた、影の務めぞ」
椎名は軽くうなずくと、唇を噛み締めながら手綱を握りなおした。
「おのれ家康、覚えておれ。いずれは貴様にこの味、味わわせてくれようぞ」
盛親の低い唸り声を背中に聞きながら、椎名は割れんばかりの大声で怒鳴り散らした。
「無駄死にをつくるな! 盛親はここにあるぞ! 斬れるものかどうか合わせてみよ!!」
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