GURPS・EDO『れ・みぜらぶる』〜苦情篇〜(壱)


―第壱幕『依頼(不信)』―

「大変でしたな、今回は」
 

文禄二年(1601年)夏、長崎。

新興の廻船問屋『出水屋』。

その長崎支店を任されている出水屋戻鶴(いずみやれいかく)が気の毒そうに言う。
 

「まさかあのような形で主家が取り潰されるとは……」
 

答える武士は竹閑雲在(たけしずうんざい)。関ヶ原において西軍につき、ついこの間改易された立花家の家臣である。
 

「止むを得んでしょう。こればかりは」

「出水屋どのに耳川で救っていただいたのは何年前のことであったか」

「左様、もう十四年ほどになりましょうか」
 

耳川の戦い――天正十五年、九州制覇を目論む島津の軍勢を大友軍が迎え撃った戦いである。この戦いに雲在も上司・立花道雪とともに参戦していた。

結局大友は勢いに乗る島津軍の前に健闘するも敗北。豊臣秀吉に救援を要請して何とか国を保つことができたのであった。

その激戦のさ中、雲在は戻鶴とその息子溢鶴(いっかく)の率いるゲリラ部隊に危ういところを救われたのだった。

戦場を漁って目ぼしい遺留品を回収して高値で売り飛ばす一方、出水屋はかつてこういった戦場からの脱出の手助けを請け負っていた。
 

「あのときを無事越えられたからこそ、この子を授かることができた」
 

横に座っているのは雲在のたった一人の子供である娘、雪。初めて見る商家の造りが珍しいのかあたりをきょろきょろ見回している。
 

「お雪ちゃんはいくつになった?」

「八歳!」
 

元気よく答える。戻鶴は笑顔でうなずくと、再び雲在の方へ向き直った。
 

「わかりました、この子は預かりましょう。しかしあなたはどうされます?」

「まだ、何とも」
 

いいにくそうにかぶりを振る。
 

「しばらくは我が主君宗茂様についていこうと思っておる。あのお方の才なら、いずれ旧領を回復されるのも間違いないだろう」

「……そうですか」
 

茶を口に含む。
 

「しかしお侍というものは我々商人からは到底理解しがたいものですな」

「ふむ」

「この先どうなるかもわからない主君が一人娘より大事だとは」

「確かにそうかも知れん。だがな出水屋。雪には妻のような苦労はさせたくない」
 

お雪の母である須恵はこの前年、貧窮のさ中にこの世を去っていた。

主家改易の後逼迫する家計を支えて働き続けた過労が祟ったのかもしれない。
 

「そして私には主君への恩義がある。ついていくと決めた以上、ここで投げ出すわけにはいかんのだよ」

「そうですか……わかりました」
 

戻鶴が座りなおす。
 

「立花家がまたお大名に戻れる日まで、お雪さんは責任もって育てましょう」

「かたじけない」

「幸いこの長崎にも、本店のある堺にもキリシタンの教会があります。そこで修行をさせるのもよいでしょう」

「うむ」

「あとのことはワタシらにまかせて、心置きなく主家のために走り回られて下さい」

「恩に着る、出水屋。いずれ旧家回復の暁には……」

「いえ、その話はやめておきましょう」
 

軽く右手を上げて制する。
 

「我々商人には今が全てなんですよ」


元和元年(1615年)大阪。出水屋の堺本店。
 

ドンドンドンドン!
 

蔵の扉が激しく叩かれる。
 

ドンドンドンドン!!
 

「茶次郎さん! 茶次郎さん!!」
 

誰かが自分を呼んでいる。
 

「茶次郎さん! 起きてください! 茶次郎さん!!」
 

手代の恭介だ。
 

出水屋茶次郎煮鶴は面倒くさそうに後ろ頭をぽりぽり掻きながら寝返りを打った。
 

「茶次郎さん!!」

「聞こえてるよ」
 

扉に向かって声をかける。
 

「どうしたね」

「母屋にお客様が見えております」

「客? ワタシにかい?」
 

茶次郎煮鶴は本来、堺の人間ではない。

何かの間違いではないか?
 

「確かにワタシに、用があると?」

「そうです」
 

大阪平野に徳川の軍勢が満ち満ちて以来、ここ堺でも商人たちの避難が相次いだ。

出水屋の堺本店でも、店主の溢鶴はじめ殆どの面々が茶次郎煮鶴の預かる長崎支店に避難していた。

それと入れ替わりで堺に出てきたのが半年ほど前。

大阪の陣のドサクサの中、半ば焼け落ちた店を修復するでもなく、ずっとゴロゴロして日々を暮らしている。

枕もとには太刀や短刀、あるいは茶器といった類が無造作に転がっている。

戦場から若いモンに漁ってこさせたもののうち、眼鏡にかなった名品と思しきものたちだ。
 

「……相手は誰だね?」

「お坊様です」

「ドットコムか」

「いえ、日本人です。西本願寺の方だと仰っております」

「西本願寺?」
 

心当たりが無い。
 

「今行きます。……少しお待ちいただきなさい」

「承知しました」

「お待たせいたしました。当店の留守を預かっております、出水屋煮鶴と申します」
 

床の間を背に座りながら座っている僧に向かって声をかける。


「お手間を取らせて申し訳ない、拙僧、京都西本願寺連枝、林豪さまの使いで回蓮と申す」
 

僧とはいえなかなか体格がいい。戦場に出してもこの男ならいい働きをするであろう。
 

「当店の主人である溢鶴は現在、長崎に出向いておりますが……」

「いえ、煮鶴さま、あなたに頼むようにと承ってまいりました」

「煮鶴も実は二人おりまして、堺本店後継者の煮鶴は……」

「いえ、長崎から出てきている茶次郎煮鶴さまに、とのことです」
 

はて、何ぞ寺ににらまれるようなことでもしでかしたかしらん?
 

「ワタシで間違いなさそうですな。して、御用は何でしょう?」