いよいよMノート、最後。
*・*-*高校 元美術部を核とした"その辺"の人々専用とりあえずこれでおしまいダス誌
(MノートVI p.1、"マンボノート FINAL
~ババンバ番号ないはシャレになってないっス~"、Mノート編集部)
おしまいダスのダスがノストラダムスを連想させていかにも終末という感じが、するわ
けないがこのページのタイトルは泣けるものがある。
さて自己紹介欄である。
☆自己紹介欄 | P.N. 、他 |
瓜売り・Lee | binbo(BK+ある☆こん+雲斎) |
Mg☆ | Aki |
NFLC | Won-Yoon Che |
綾重颯 | 土御門 |
今回はページ数が今までに比べると少なく、目次が一ページに納まったために、自己紹
介欄が8つ――実際の参加人数になっている。そのため各欄のサイズは今までに比べて大
きくなっている。
そのページが減ったMノート FINALは94/11/15~94/12/15(本文)とちょうど一ヶ月で終
了している。名残惜しむように最終ページ(p.58~)にある目安箱は裏表紙裏(硬い紙のと
ころ)まで、95/02/02まで書き込まれている(いままで言及はなかったがノートに対する要
求や誤字への突っ込み欄としてこれまでノートの最後の方のページに目安箱が設置されて
いた)。そして最終ページに初めて奥付が書かれいる。
(Mノート FINAL、奥付)
なぜかR指定もされているが原因は謎だ。
さて前回の最後の最後、"マンボノート目安箱"の最後にBKの次のような書き込みがある。
☆来年以降のMノート。どーすんの? 11/10 by binbo
(Mノート FINAL p.60、"マンボノート目安箱"、参加者のみなさま)
これには最初の本文ページで編集長が応えている。MノートC計画(原案)である。
これはのちのM-N-Nに繋がる企画である。この時点では原稿がたまったら、Mノート
編集部に切手をつけて送り、編集部でコピー誌を作って各人に配るというものであった。
そして最初の企画によるとC(コア)計画というのは、
自分の新しくできた友人etc.をMノートProject.にひきこんでネットワークを広げてい
こうというもの。新しいメンバーが入ったら最初の原稿郵送の際に自己紹介を書いた紙
(本名、住所、電話番号etc.)を同封して編集部へ。
(Mノート FINAL p.4、"MノートC計画(原案)"、Lee)
もしこれで行けば現在のMNNメンバーはもっと広がったものになっていたであろうが、
なんだか純潔性を重視してしまったのか、正規メンバーはMノート時代の参加者に限られ
てしまったのである。
なおこのページに示された(テリー風<注>)日本地図にかかれた分布地図によると、
本部(Lee、NFLC、binbo、さちを、(Aki))
関西支部(Mg☆、ちぇ、土御門)
九州支部((Aki))
(Mノート FINAL p.4、"MノートC計画(原案)"、Lee)
となっている。まさかこの時点では欧州や金田に広がるとは思わないわけで、本部(東
京)が大多数となっている。
実際は現時点で九州支部(博多支部)が大多数になって、本部とされている東京には一人
しかいないのである(NuLLは湘南支部とする、そのほうがかっこいいので)。もはや本部は
九州北部といっていい(鹿児島を「実家」とするメンバーももはや少数派なのだ)。
私は高校を卒業している(くらいの年齢)の人間は「大人」と考えている。それゆえにまだ
「子供」の範疇に入っているのはMノートの最終号、つまりこのノートまでであって、真に
青春時代といえるのはここまでではないかと思う。その割にはメンバーの多くが異性交遊
をせずに来ているのは寂しいものがあるが、まあ大半が男子校の中で何年も過ごしたメン
バーらしいと言えばらしいか。
このノートを最後にMノート参加者たちは新たなる道を歩むことになる。「未来へ!」と
書いたのはその辺に由来する。これが萩尾望都「11人いる!」が元ネタであることが分から
ない人と私は会話したくない――嘘です、ごめんなさい。古かったですか。
そういったこととは別にMノートはこれで完結し、数ヵ月後から新たな展開を見せるこ
とになる。
といったところでMNN史Mノート:データ編は幕を閉じることにする。
ちかれたびー(こりゃまた古い)。
(2000/10/21)
<注>テリー風:MNNの出身校の地学教師のテリーが描く簡略地図。北海道、四国、九州は□であらわされる。注を三年半放置していたとは。
(2004/02/10)