EPILOGUE 【落ちてきた空】



EPILOGUE
【落ちてきた

 西暦2001年1月10日(Wed.)

 こんなに不味いタバコは久しぶりだった。

 浅生銀は煙をゆっくり吐き出し、机の上に散らばった書類や写真から目をそらした。

 背をあずけた椅子がぎしりときしむ。机も椅子も職員室にあるような無個性であまり質のいいものではない。天井を見上げ、目を閉じ、頭の中のメモに書かれた単語をもう一度反芻する。

 梅中エンジ。愛人。鹿目ローラ。首のない死体。イコール蝶塚ケイ。鋭利な切断面。赤いナイフ。赤いコートの男。逃亡した少女。ナユ。イコール偽者の蝶塚ケイ……
 

(もう1月10日か……)
 

 自称高校生探偵の成瀬金太郎、その友人水沢小鈴、そして謎の坊さんが再び意識をなくしてから一週間が過ぎていた。

 チャーリー・土屋から個人的に話を聞き (鬼無マコや福岡ツトムからも話を聞いたが、ロクな情報が得られなかった)、隠蔽されていたいくつかの情報を知ることができたが、まだ全てはひとつにつながっていない。土屋から聞いた話も信じがたいものがほとんどで、浅生自身が間違いなく真実だろうと思えたのは、
 

(鹿目ローラ殺害の犯人は梅中エンジ、ってことぐらいか)
 

 その後、梅中エンジがどうなったのか浅生は知らされていない (事件として公表されていないので何となく想像はつくが)。鹿目ローラの検死結果の情報もおりてきていない。鹿目ローラの首が見つかったことは聞いたが、梅中エンジにつながる何かが発見できたのかどうかはわからない。

 この事件の真相を知るためには、たったひとりで調べていくしかない――いや、あの頼りない高校生探偵たちとともに。
 

(少年探偵団とつるむつもりはないんだがなー……)
 

 だが、彼らが真実に一番近い場所にいることは確かだろう。

 彼らを信じること。そしてどんなに信じがたく突拍子もない出来事でも受け入れる柔軟な心を持つこと。

 青臭い話だなと苦笑していると、携帯が鳴った。小型ディスプレイには鑑識の小津の名。
 

「もしもし」

「浅生か?」

「ああ」

「こないだの合コンの件なんだけど」

「……ああ」

「オレ、やっぱお前と一緒だわ、好みのタイプ」

「そうか」
 

 思わず礼を言いそうになり慌てて、
 

「お前にはやらん」
 

 そう言って、電話を切った。口元に笑みが浮かびそうになる。
 

(……一致したか)
 

 個人的に依頼していた鑑識結果の報告だった。

 3ヶ月前に雑木林の中で発見された身元不明の死体――崖から滑り落ちたらしき、事故死体――と、鹿目ローラの部屋のカーペットの裏にあった毛髪のDNAが一致したのだ。
 

(本物の鹿目ローラは死んでいる……)
 

 頭の中のメモをひっくり返し、鹿目ローラの部屋を家宅捜査したときの情報を取り出す。

 鹿目ローラ。28歳。独身。S県出身の独り暮らし。ローラという名前であるが、両親は生粋の日本人で農業経営。外見は地味であまり印象に残らない。性格はおとなしい、というより暗い。ローラの部屋は2階建ての安アパートの2階。フリーターで、コンビニでバイトをしていたが半年ほど前に辞めている。親しい友人はなし。趣味はインターネットと耽美小説とおまじない。本棚には小説やおまじない関係の本の他に、魔術に関するものも数冊あった。とあるおまじないサイトの常連で、特に仲良くしていたのはKとUというハンドルネームの女性。恋人はなし。ただし、バイトを辞める直前、誰かと一緒に住んでいる様子だった。DNA鑑定用の毛髪は洗面台にあったブラシから採取。

 ここでひとつの仮説をたててみる。

 おまじないサイトの常連UかK(おそらくKだろう)が蝶塚ケイだとしたら。そして家を飛び出した蝶塚ケイが鹿目ローラを頼り、彼女の家に押しかけたのだとしたら。
 

(蝶塚ケイは鹿目ローラの名を奪い、松下育郎の秘書になった)
 

 雑木林の死体、あれは本当に事故死体だったのか? 鹿目ローラの遺体を引き取りにきたのは、本当に彼女の両親だったのか?

 そして、なぜ蝶塚ケイは梅中エンジと死のうと思ったのか?
 

(真実はどこにある……?)
 

 目を細めても天を見上げてもそんなものは見えない。見えるのは黄色く変色した天井だけ。
 

(やるだけやってみるさ。あいつが目を覚ますまで)
 

 浅生はタバコをもみ消すと、椅子の背にかけていた上着をとった。

 もし真実があるとしたら、それはきっと地べたに転がってるに違いない。

 西暦2001年1月11日(Thu.)

 眠気をはらうようにベッドサイドに置いたタバコに手をのばし火をつける。灰皿を引き寄せ灰を落とし、男はとなりでぐったりしている女に目を向けた。滑らかな曲線を描く白い肌はまだ上気し、ほんのりと赤い。とっくに30を過ぎているはずだが、まだ20代で通用するだろう。
 この女の真の艶やかさを知る男は少ない。服の下に上手に隠されたその香りに気づいた自分はまだまだ男として捨てたもんじゃないのかもしれない。

 タバコを消し、ガウンを羽織る。ホテル最上階の大きくくりぬかれた窓からは東京の夜景を見下ろすことができた。値段のわりに眺めも内装も悪くない。テーブルに置かれた苺をつまみ、口に運ぶ。ようやく落ち着いたのか女がベッドから身体を起こす気配がした。
 

「私も食べたい、それ」
 

 艶っぽい声でお願いされたので、苺をもうひとつ掴み持っていってやる。
 

「死ななかったな、彼」
 

 女の口元からぽたっと果汁が垂れ、シーツにほのかに赤い染みを作った。
 

「そうね。でももう関係ないわ。"あれ"はもう消えてしまった」

「信じるのか?」

「自分の目で見たものを信じない人って、珍しくない?」

「所詮は光による電気信号だ。――まだ消えていない。形を変えて存在しているはず」

「坊やの中で?」

「ああ。覚醒する前にどうにかして取り出す手段を考える。幸い、しばらくはあの病院にいるようだしな」
 

 男は下界を見下ろす。あの少年には気の毒だが、彼を"王"にするわけにはいかないのだ。

 世界は足元にある。頭上にいる神だっていつかひきずりおろしてやろう。この手で。

 西暦2001年1月12日(Fri.)

 神が必要かどうかはわからないが、頭上の髪はゼッタイ必要、とは同じ<クリムゾン・エッジ>の仲間である増尾の口癖だ。

 蝶塚ケイ――阿支奈ナユはマンションの駐輪場にバイクが止まっていることを確認してから、8階の一番奥の扉の呼び鈴を押した。
 

「マスオさーん、コートのクリーニング、できてたよー」
 

 ややあってからドアが開き、童顔のわりに生え際が危うくなってきている青年が顔を出した。起きたばかりなのかその目ははれぼったく、無精髭がのびている。
 

「阿支奈か。いつも悪いな。……とりあえず、中入れよ」
 

 散らばった靴を蹴飛ばして隅にやり、増尾はナユを中へ招いた。
 

「加々見さんは?」

「さあ、まだ寝てるんじゃね?」
 

 ビニールに覆われた赤いコートを手渡し、勝手にコーヒーメーカーのコーヒーをカップに入れる。増尾はコーヒーを飲まないから、加々見はもう起きているはずだ。そう思って加々見の部屋の扉へ目をやると、スーツに身を包んだ加々見が出てきた。漆黒の髪と瞳、女性のように整った顔もすらっとした姿も相変わらずカッコイイ。一週間ほど前加々見のバイクの後ろに乗ったことを思い出しナユは顔を赤く染めた。
 

「あれ、起きてたんスか」

「お前と一緒にするな」

「加々見さん、おでかけ?」

「休日なのに仕事が入ったんだ。……ナユ、こんなところに来て大丈夫なのか?」

「今日は蝶塚の家は誰もいないから。マスオさんが、いつまでもコートをクリーニングに出しっぱなしだったし」

「またか」

「いや、これはほら、こないだ抜かれた毛がまだ痛くって。いや、怪我がじゃなくて毛がなんスけど」

「――あまり時間がない。ナユ、コーヒーを入れてもらっていいか」

「もちろん」

「加々見さーん、無視しないでほしいっス」
 

 その言葉を思いきり無視し加々見は新聞を広げ、ナユからコーヒーを受け取った。
 

「先日の時空間振動、正式な調査結果はまだだが、どうやら人間のものではないようだ」

「へー。てっきりあたしの同類の仕業だと思ってました」

「そのうち<ASH>からも情報が出てくるだろう。ダガーも失われ、さて、どうしたものか」

「とりあえず、能力者探しっスかねえ」

「しばらく上ももめるだろう。ナユにとって、いい方向に話が進めばいいが」
 

 漆黒の瞳に見つめられ、ナユはどきりとした。
 

「あ、あたしは……」

「そろそろ時間だ。いってくる。――増尾、今夜のドラえもん、忘れず録画しておいてくれ」
 

 新聞のテレビ欄から顔を上げ、「ようやく正月の特番が終わってくれた」 などと言いながら出ていく加々見を見送り、ナユは溜め息をついた。
 

(……あれさえなければ最高にカッコイイのになぁ)

 西暦2001年1月13日(Sat.)

「……では今回の事象は自然現象だったと?」

「その通りだ、<リセット>のひとりよ」

「我々はこれを<バイブレーション>と名付けた」

「人ひとりが操るにはあまりに巨大な力」

「しかり。しかしそれは<リセット>とて同じこと」

「<スキップ><リセット><ターン>、そして<バイブレーション>。全ては同じこと」

「<赤き刃><青き石>、全ては同じこと」

「ヒトの"目覚め"は続く。<バイブレーション>はそれをさらに早めた」

「それは<世界>の想い。自らが楽園へと生まれ変わるための一歩」

「扉は開かれた。<世界>の物語がはじまる」

「<箱舟>を求めよ」

「そして待つがいい。やがて天から降りる<ガズィの鎖>を」

「そのとき、旧き世界は――終わる」

 西暦2001年1月14日(Sun.)

(旧き世界の終わり……)

 そんなことを考えながら喫茶店の窓の外にぼんやり目をやる。低い雲におおわれた空は、ぼんやりと白く輝いてみえた。

 ひょっとしたら雪が降るのかもしれない。

 世界の終わりはどんな光景だろう。空は真っ黒な雲に覆われているのだろうか。それとも赤く染まるのだろうか。大地はひび割れ、川は氾濫し、大津波が押し寄せる。

(我ながら貧困なイメージだなぁ……)

 少し酸味の強いコーヒー。メレンゲを使った小さなケーキ。わずかに聞こえてくるジャズ。

 梨畑澪は人を待っていた。

 やがてドアベルがカランと鳴り、やってきた待ち人が席に座る前に 「どうだった、病院?」 と聞くと、そっけない返事が返ってきた。
 

「ダメだな。相変わらず、意識は戻らないままだ」
 

 背の高い待ち人はウェイターにコーヒーを注文し、先程の澪と同じように窓の外に目をやった。澪も再び彼と同じ場所へと目をやる。最近新しくできた駅前のショッピングモールの向こうに、白い空が見える。
 

「……降ってきたな」

「え?」

「雪」

「……うん」
 

 白く輝く空から落ちてくる灰色の雪を見ながら、澪はそっと心の中でつぶやく。その言葉は誰に届くこともなく消えていく、小さな祈りだった。

<L・P COCOAMIX or BLACKCOCOA-Long Prologue- Closed.>


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