GURPS・EDO―薩摩編―(拾四)

 ――静かな夜であった。
 

 庭先の鹿威し(ししおどし)の尻が石に当たる音が、離れの部屋の中にも響いてくる。

 錦江屋宗右衛門(きんこうやそうえもん)は膳の上の魚を箸でいじくりながら、目の前の異人に向かって口を開いた。
 

「……よい夜ですな」
 

 通辞がそれをオランダ語で相手に伝える。

 なにやら言葉を返す。
 

「いつもの夜と変わらない」
 

 わび・さびというものはどうやらあちらには存在しないらしい。錦江屋は小さく笑うと、箸先の魚を口に運んだ。
 

「それより仕事の話だ。娘は用意できたのか?」

「ええ、もちろん。今回は三人だけですがね」
 

 味噌汁で軽く口を湿らす。
 

「なかなかの上玉を御用意させていただきましたよ」

「そうか。………お客様もお喜びになるだろう」

「そうありたいものですな。……しかしそろそろ、磯の娘は打ち止めでしょうな」
 

 箸を置く。
 

「住人の方はもちろん、仙巌園の女中まで、もはやさらいつくしてしまった感があります」

「なるほど、ご苦労。では我々もそろそろ、手を引くことにしよう」
 

 異人がポンポンと手を叩く。控えの間から侍が出てくる。例のごとく、娘を連れ出すための駕篭を呼びに行かせるのだろう。

 二言、三言耳打ちして膳に戻る。

 無言で箸を動かす。

 侍も程なく戻ってきた。

 膳のものをあらかた片付け酒をちびちびやっていると、再び異人の方が口を開いた。
 

「……ではそろそろ、娘たちを見せてもらおうかな」

「承知いたしました」
 

 すぐ横の畳を跳ね上げ、地下室に向かって声をかける。

 ややおいて、後ろ手に縛られた三人の娘たちが番士に連れられて上がってきた。

 なるほど、三人ともすこぶる美人だ。異国に売るにはあまりにも惜しい。
 

「ほう、確かに美しい」
 

 通辞までもがえらく鼻の下を伸ばしている。
 

「お気に召しましたか? 何ならひとつ、味見でも………」

「そうしたいところだが、うちの客はうるさいんでね」
 

 ニヤニヤ笑いながら眺める。三人の娘たちはその視線に怯えるように、身を寄せ合って震えている。
 

 (スケベ外人めが……)
 

 苦笑いしながら畳を戻す錦江屋。焼酎の入った湯呑みに伸ばしかけた手がふと止まる。
 
 

 ………ちり〜ん………ちり〜ん…………






 風に乗って、かすかだが鈴の音が聞こえる。
 
 

 ………ちり〜ん………ちり〜ん…………






 慌ててあたりを見回す。異人も通辞も気付いてないのか、相変わらずいやらしい目で娘たちを眺めている。
 

「……気のせいか……」
 

 浮かせかけた腰を戻した、その時。不意に行燈の火が消えた。
 

「なっ……!」
 

 ハッとして片膝を立てる。気がつけば鈴の音は先ほどよりハッキリ聞こえてきている。障子の外からだ。三人の男達の目線がそちらに集中する。
 

「……ナムアミダブツ……ナムアミダブツ……」
 

 鈴の音に混じって聞こえてくる念仏。
 

「なっ……なにもの!!」
 

 膝立ちのままにじり寄っていく錦江屋の目の前で、一瞬、外が真昼のように明るくなる。

 そして僧侶と思しき者の立ち姿が二つ、影となって障子に映る。
 

「何奴!?」
 

 再び闇となった障子の外に向かって叫ぶ。
 

「……御仏の目はうまくごまかせたようだな。………しかし!!」
 

 再び閃光。シルエットが、頭の上から大きな薙刀を振り下ろす。

 障子が斜めに断ち切られ、雲間から漏れた月光がぼんやりと夜の闇よりなお暗く、二つの人影を浮かび上がらせていた。
 

「われらの目はごまかせぬ!!」
 

 叫んだのは薙刀の男だ。続けて物陰から出てきた女が口を開く。
 

「……罪なき娘たちをかどわかし、遠い異国へ売り払うなど言語道断」
 

 さらにもうひとり。
 

「その悪行の数々、身をもって悔やむがいい!」
 

 再び鈴の音。
 

「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……」

「え、え、えーい者ども! 曲者じゃ!! 出合え、出合えぃ!!」