庭先の鹿威し(ししおどし)の尻が石に当たる音が、離れの部屋の中にも響いてくる。
錦江屋宗右衛門(きんこうやそうえもん)は膳の上の魚を箸でいじくりながら、目の前の異人に向かって口を開いた。
「……よい夜ですな」
通辞がそれをオランダ語で相手に伝える。
なにやら言葉を返す。
「いつもの夜と変わらない」
わび・さびというものはどうやらあちらには存在しないらしい。錦江屋は小さく笑うと、箸先の魚を口に運んだ。
「それより仕事の話だ。娘は用意できたのか?」
「ええ、もちろん。今回は三人だけですがね」
味噌汁で軽く口を湿らす。
「なかなかの上玉を御用意させていただきましたよ」
「そうか。………お客様もお喜びになるだろう」
「そうありたいものですな。……しかしそろそろ、磯の娘は打ち止めでしょうな」
箸を置く。
「住人の方はもちろん、仙巌園の女中まで、もはやさらいつくしてしまった感があります」
「なるほど、ご苦労。では我々もそろそろ、手を引くことにしよう」
異人がポンポンと手を叩く。控えの間から侍が出てくる。例のごとく、娘を連れ出すための駕篭を呼びに行かせるのだろう。
二言、三言耳打ちして膳に戻る。
無言で箸を動かす。
侍も程なく戻ってきた。
膳のものをあらかた片付け酒をちびちびやっていると、再び異人の方が口を開いた。
「……ではそろそろ、娘たちを見せてもらおうかな」
「承知いたしました」
すぐ横の畳を跳ね上げ、地下室に向かって声をかける。
ややおいて、後ろ手に縛られた三人の娘たちが番士に連れられて上がってきた。
なるほど、三人ともすこぶる美人だ。異国に売るにはあまりにも惜しい。
「ほう、確かに美しい」
通辞までもがえらく鼻の下を伸ばしている。
「お気に召しましたか? 何ならひとつ、味見でも………」
「そうしたいところだが、うちの客はうるさいんでね」
ニヤニヤ笑いながら眺める。三人の娘たちはその視線に怯えるように、身を寄せ合って震えている。
(スケベ外人めが……)
苦笑いしながら畳を戻す錦江屋。焼酎の入った湯呑みに伸ばしかけた手がふと止まる。
………ちり〜ん………ちり〜ん…………
風に乗って、かすかだが鈴の音が聞こえる。
………ちり〜ん………ちり〜ん…………
慌ててあたりを見回す。異人も通辞も気付いてないのか、相変わらずいやらしい目で娘たちを眺めている。
「……気のせいか……」
浮かせかけた腰を戻した、その時。不意に行燈の火が消えた。
「なっ……!」
ハッとして片膝を立てる。気がつけば鈴の音は先ほどよりハッキリ聞こえてきている。障子の外からだ。三人の男達の目線がそちらに集中する。
「……ナムアミダブツ……ナムアミダブツ……」
鈴の音に混じって聞こえてくる念仏。
「なっ……なにもの!!」
膝立ちのままにじり寄っていく錦江屋の目の前で、一瞬、外が真昼のように明るくなる。
そして僧侶と思しき者の立ち姿が二つ、影となって障子に映る。
「何奴!?」
再び闇となった障子の外に向かって叫ぶ。
「……御仏の目はうまくごまかせたようだな。………しかし!!」
再び閃光。シルエットが、頭の上から大きな薙刀を振り下ろす。
障子が斜めに断ち切られ、雲間から漏れた月光がぼんやりと夜の闇よりなお暗く、二つの人影を浮かび上がらせていた。
「われらの目はごまかせぬ!!」
叫んだのは薙刀の男だ。続けて物陰から出てきた女が口を開く。
「……罪なき娘たちをかどわかし、遠い異国へ売り払うなど言語道断」
さらにもうひとり。
「その悪行の数々、身をもって悔やむがいい!」
再び鈴の音。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……」
「え、え、えーい者ども! 曲者じゃ!! 出合え、出合えぃ!!」