時は寛永一五年の如月の頃。今風に申しますれば一六三八年旧二月ということにあいなりましょうか。
江戸の世、三代家光様の御時、丁度島原の乱の真っ最中でございます。
薩摩の藩主、島津公お直々の命として、鹿児島の街に辻札が立てられたのでありました。
曰く、『求む、腕の立つもの。身分不問、給与保証。委細面談。採用についての詳細は最寄りの番所まで』
さて、採用試験の当日。
お城の庭は全国津々浦々から集いし猛者達の熱気にて悶々としておりました。
顔触れは武士は勿論、農工商から乞食、芸人、異人に僧神官、果ては闇の世界の者とおぼしき輩まで。
お互いがお互いを意識し、自らの精神を昂ぶらせております。
やがて奥から現れしは家老・有園守義。一同を見回し右手を挙げれば、それを合図に鳴り響く太鼓。
庭を埋め尽くした猛者ども、その音に弾かれたように動き出しました。
ある者は力に任せて相手をなぎ倒し、ある者は言葉巧みに相手を説得し、またある者は考えつくかぎりのやり方で己の幸運を信じて隠れ。
やがて時は経ち。
庭一杯に蠢いていた猛者達も、気付けば残すは七名のみとなりました。
さてさてここからが話の本題。
いかなる面子が残っていかなる任務をこなして参りますか。
それは次回の講釈で。ひとまずこれにて失礼つかまつります。